日々のこと。

自分のための日記帳です。

休校中の宿題が多すぎて、昨日やる気を失った2人

友達とzoomで繋ぎっぱなしにして、しゃべりながらやることにしました。
「ゆうすけなにやる!?」
「じゃあ国語!」
「国語って何やるの?」
タブレットに載ってるよ!」
「これ?」
「それじゃない!もう一回見せて!」
「オクリンクのやつ?」
「それだよ!」
「あーじゃあ漢字スキルからやろ!」
「僕はノートからやるよ」
「今日どれやるの?」
「”春”だよ。季節の”春”。そこから4文字やるんだよ。」
こういうやりとりにこそ、価値があるんだよなあ。
それにしても、小学2年生でzoomを使いながら友達と勉強する、
我が子のオンラインコミュニケーションスキルは向上しています。

『学び合い』神奈川の会

という会を、もう5年近く続けています。
 
3か月に1回のペースで勉強会みたいなものです。
今回はオンライン開催をしました。
会を開くことで世の中の何が変わるか、やっている時には分かりませんが、岩井さんのように、何かの行動のきっかけにしてくれる方もいます。
続けてきて良かったな、と思います。
一人で変えられるものは小さいかもしれませんが、仲間や同志を増やしていくことで、もっと大きな変化を産み出せるはず。
刺さった誰かが行動すれば、それがまた誰かに刺さる。
そんな連鎖を起こしていきましょう。
そういう自分も、誰かに刺されて動いているんだろうな。
それは初任の頃のあの先生だったかな、同い年のあの先生だったかな、『』の会で出会ったあの人だったかな、あの苦手だった教頭先生もある意味そうだな、
考えだしたらきりがないけれど、人との出会いや様々な経験が今の自分を作っているのだから、
やっぱり様々な人たちの出会いの場を作ったり、学びの場を作ったりすることには価値があるよな、と思いました。
みなさん、ぜひ緩やかに繋がっていきましょう。
きっとそれが何かを起こします。

課題意識を持とう。できる範囲のことをやろう

「宿題渡したっきりじゃダメだよな」
そう思っているけど、他の方法もなく、
「オンラインでやれることをやりたい!」
と提案しても許可が下りず、
結局今は、それで苦しむ子どもや家庭があると分かっていても、その形で宿題を出さなければいけない、という苦しさの中にいる教職員がたくさんいます。
『学び合い』の会などで、全国の先生たちと話をしますが、本当に多くの先生たちが悔しい思いをしています。
それでも、何かできないかと、少しずつ周囲の同僚に声を掛けたり、資料を揃えて管理職に提案したり、宿題のプリントに工夫をしたりという声を聞きます。
その一方で、何の課題感も持っていない先生や、すでに諦めている先生もいるという話も聞きます。
様々な人間たちの様々な思惑が絡み合っての現状ですから、
「誰かがパッと解決してくれる」
というものではありません。
変えたい現状があるならば、
私たちは、届く範囲に向けて声を上げ続け、繋がれる範囲の人たちと、できる範囲の行動を取り続けることしかできないと思います。
それにしても、こういう状況で自分が宿題を出す側だったら、精神的にしんどかっただろうなあ、と思います。
仲間たちの心中察するに余りある。

求めているのは、授業ではなく「休み時間」

求めているのは、授業ではなく「休み時間」だよなあ、と我が子を見ていて思います。
勉強だって、友達と一緒だからできるけど、個別化されたらやる気が出ない(個別最適化とは別の”個別化”)
友達とのおしゃべりとか、遊びとか、個別に取り組んでいても気配で感じている何かとか、そういうところも、学校の本質的な価値だと思います。
「勉強だけならオンライン上に教材たくさんあるから学校なんていらない」
とは思いません。
でも、それは「オンラインよりリアルな先生に教えてもらいたい」から、というわけではなく、学校という場の持つ機能に価値があると思うからです。
だから、学校は教師の知識量や知識伝達スキルではなく、この「学校という場の持つ機能をいかに生かすか」ということにもっと意識を注いでほしいと思います。
そして、その「場の持つ機能」までもオンラインで代替されるとしたら、いよいよ学校の存在意義は薄れていくのだと思います。
(とはいえ、地域に根差した人間関係を育む場所である、という価値はそう簡単には薄れないとも思っています)
とにかく、うちの子たちはストレスたまってます・・・

違憲立法審査権

これは社会科の授業で使わない手はない案件ですね。
危険なものから国民を守るために、法律や条例で規制する。
善意のように見えますが、気を付けないと際限がなくなってしまいます。
お酒やたばこは健康への害があるから、子どもはダメだよ。
→大人がOKなのはなぜ?
薬物は健康への害があるから、みんなダメだよ。
→こっちは大人もダメなのはなぜ?
R15指定、R18指定は健全な育成に害があるから子どもはダメだよ。
→線引きは恣意的では?
ウルトラマンアンパンマンも暴力シーンあり?
→遠ざけるばかりで、性教育についてはむしろ足りないのでは?
「子どもたちを守ろう」
という動機自体は素晴らしいと思うのですが、憲法に規定されている「自由権」については、簡単に考えてはいけない、とっても重要なことだと思っています。
そして、憲法上の人権は子どもも大人も等しく守られるべきものです。
相手が子どもだから、と言って、簡単に自由権を制限することのないように、大人たちも慎重に考えていきたいですね。

来年のゴールデンウィークはぜひ清川村へ

実は毎年野外ライブを企画運営しています。
その名も「清川ロックフェス」
今日は、本当はその清川ロックフェスをやっている予定でした。
今年は中止にしましたが、来年こそは実施できるようになっていることを願います。
清川ロックフェスは、老若男女、障害の有無などを問わず、みんなで楽しめる野外音楽イベントです。
大自然の中、とても気持ちの良い野外ステージをレインボーフラッグで飾り、めいっぱい音楽を楽しむ。
キッチンカーも来てくれて、外で美味しいカレーとビールを楽しむ。
そんなイベントです。
誰が来てもいいし、何をやってもいい。
そんな野外ライブ。
これを地元の清川村で実施することに、意義があると思っています。
すごく良いところなんですよ。清川村
来年はぜひみなさんのお越しください!
というわけで、今日は代わりにバンドメンバーとzoom飲みしました。

変えるべき学校文化もあれば、素敵な学校文化もある

学校と社会を対置したときに、社会の側の価値観を学校の側に取り入れることが大事だ、という話は多いです。

働き方改革とか英語教育やプログラミング教育とかもその一例ですね。

学校が開かれたものになり、社会との様々なギャップが埋められていくことは良いことだし、それによって、学校の変わるべき部分が良くなっていくこともたくさんあると思います。

 

基本的に学校は変わるべき部分がすごく多いと思っているのですが、逆に学校の側から社会の側へ発信されていっても良い文化というものもあると思います。

 

例えば、損得勘定抜きで本質的に大切なものは何かを追い求めていいところとか、

いくら失敗しても損失が生まれず、やり直しができるところとか、

承認や賞賛の力を重要視しているところとか

成長が目的になって良いところとか

 

学校が持つ文化って、素敵なところがたくさんあるのですが、案外学校の中にいる人もそれに気が付いていないことが多いと思います。

 

休校中の今、学校の存在意義が問われていますが、こういう素敵な学校文化についても、改めて注目したいなと思いました。