日々のこと。

自分のための日記帳です。

全ての子どもたちが個人として尊重され、生命、自由及び幸福追求に対する権利を保障される教育の実現

日本国憲法が好きです。
小学校6年生の社会科では日本国憲法について学ぶのですが、小6の担任をしていた時には、学級通信で「〇〇権について」というシリーズで毎号紹介していたくらいです。(学級通信は毎日書いていた)
学級文庫には『檻の中のライオン』を始めとして、何冊も憲法に関する絵本や漫画などを置いていました。
たくさんある条文の中では、やっぱり第十三条が好きです。
「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」
この「すべて国民は」というフレーズと「個人として尊重」「生命」「自由」「幸福追求」の権利という言葉、本当にぐっときます。
教員をしていた頃、職員室では「みんな」とか「子どもたち」と言った言葉はよく使われていました。しかし、その「みんな」とか「子どもたち」という言葉が、一体誰を指しているのか、それは本当に「一人残らず全員」を指しているのか、ということは、すごく気になっていました。
特別支援学級の子たちも含めての話か」
「意欲のある子だけになっていないか」
「それに賛同するのかどうか、子どもたち本人の意思は確認したのか」
私たち大人も、自分たちの存在や意見が蔑ろにされたら、それは納得いかないし、悲しさや虚しさや怒りが生じます。
だから、それは子どもたちも同じ。
社会の中で、私たちが自分たちのことを自分たちで決めたり、意見を表明する機会が与えられているのと同じように、子どもたちだって同じく権利が認められるべきだと、今も思っています。
子どもたちの生活は、随分大人の都合で決められてしまう現実がありますが、本当にその必要があるのか?と疑問に感じることは多々あります。
また、「幸福追求」の言葉が表すように、学校教育だって、子どもたちの一生涯の幸せのためにあるべきだと強く思っていますし、公教育がここを軽視したら、職責を全うしているとは言えないと思います。
「全ての子どもたちが個人として尊重され、生命、自由及び幸福追求に対する権利を保障される教育の実現」
教育を語る時には、いつでもこれが土台となるはずだと信じています。
ということで、祝 憲法記念日
6年生の担任をしていた時、子どもたちに紹介するために、憲法に関する様々な児童書や絵本を読み漁った結果、個人的にNo1だと感じた本。
読者カードに感想を書いて送ったら、後に著者の楾さんに会った時に、
「あれを送ってくれたのは全国で小林さんただ一人です。」
と言ってもらえて嬉しかった。
檻の中のライオン」著者、楾大樹弁護士による|生活協同組合パル ...

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既にあったオンライン診療

先月は長女(2歳)が肘を軽く脱臼して病院へ(診察してレントゲン取っている間に治った)

先週は三男(0歳)が10分毎に嘔吐を繰り返したので病院へ(嘔吐止めの薬を飲んだら治った)

今日は次男(4歳)が転んで唇の裂傷。手から零れ落ちるくらいボタボタ血を流しました。

 

しかし、不要不急の外出は避けたい。

脱臼は自力では治せないし、0歳児の連続嘔吐は様子見でなんとかなる気がしなかったので結局病院へ行ったが、今回はどうだろう。

 

ひとまず病院へ電話をして、傷の大きさや深さ、出血の状況について説明したところ、

「実際に見てみないと何とも言えないけれど、話を聞いた限りでは、様子見でも大丈夫。心配ならば病院へ来てください。」

とのことで、保護者判断でそのまま様子を見ることにしました。

 

結局痛々しい状況ではあるものの、ひとまず血が固まってかさぶた状態になったので良しとしました。

 

本来であれば、医師が専門性を生かして問診をし、見解を述べてくれたのだから、診察料は発生してしかるべきだと思います。

しかし、今回は電話で問合せて親切に答えてくれただけ、ということで無報酬でしたし、様子見にした結果取り返しのつかないことになった場合を考えると、医師にとってもリスクがあったと思います。

 

と思って後で調べて見たら、オンライン診療って既にあったんですね。知りませんでした。

リストを見ると、清川村の煤ケ谷診療所も入っていました。

 

しかも、今は時限措置として適用範囲が拡大されているそうで、本来ならば講習を受けた医師しかオンライン診断はできないところを、そうでない医師も可能にしているそうです。

 

家にいたまま診察をしてもらえて、薬の処方もしてもらえるとのこと。今後活用していきたいと思いました。

 

https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/kenkou_iryou/iryou/rinsyo/index_00010.html

上がれ投票率!

 
新型コロナ対策で、自治体ごとにそれぞれやり方がバラバラだったり、スピード感が違ったりしています。
だから、
「リーダーなんて誰がなっても同じ」
というわけではない、ということもよく表れていると思います。
 
これを機に、投票率が上がる方向にもっていきたいですね。
今回の状況は、大人も子どもも「自治ってなんだ?」を考えるきっかけになっていると思います。
 
 
また、学校もそれぞれ対応はまちまちだったと思います。
これは、校長先生の在り方がかなり大きいです。
 
学校ごとに対応が違うと、保護者が他校と比較して意見を言ってくる。
だから、他校と足並みを揃えることが大事という考え方もあるかと思います。
 
意見が交わされることをリスクと捉えるのではなく、関係者が互いに尊重し合いながら協力していくために必要な仕組みだと考えたいですね。
 
 
そして、ステイホームで投票できる仕組み、早く実現したい!!!
 

徳と得は結局同じか?

自分の持っているもので人をHappyにできるというのは尊いことだなあ。

と、素直に思います。

 

自分自身、人の役に立ちたい願望は結構強いと思うのですが、それが純粋に人の幸せを願ってのことなのか、感謝や賞賛を求めているという承認欲求から来るものなのか、というと、大いに後者だと思っています。

(全く見返りがなかったとして、どこまで人のために自分の時間や労力を使えるか、と言ったら・・・聖人君子でもないとね)

 

ただ、現実として表出する行動自体の価値は、その人がどういう動機を持っていようと変わらないのも事実。

褒めてもらいたくてガンガン善行を積む人と、

「そんなのは偽善だ」

と言って、全く行動しない人がいたら、現実的に良い効果を生むのは前者の方。



そんなことを考えながら、思ったのは

「ありがとう」

が言えることは大事だと、我が子にはやはり伝えたいなあ、ということ。

だって、その方が人から良くしてもらえる確率が高いから。

人間社会の中では

「ありがとう」

という感謝の言葉が、親切に対する対価に十分なり得る。そういうことは多いですよね。

 

と、いうわけで、こんな素晴らしい音楽を届けてくれたアーティストにも、動画をシェアしてくれた投稿者にも、そのような場を創ってくれたFacebookにも、感謝です。

良いものをシェアするというこのSNSの文化が、僕は結構好きです。

オンラインのやり取りだけで、人間関係づくりができるか

平安時代の貴族が和歌で相手の人間性を判断していたとすれば、

現代はzoomとslackで相互理解をする時代かもしれませんね。

 

今、仕事は全てオンラインで実施しています。

同僚の中にはまだ1度も会ったことのない人もいますし、そうでなくても年に数回しか会わない人は結構います。

3月からはフルリモートだったので4月から合流したメンバーとはまだ入職後1度も会っていませんしね。

 

でも、そういうメンバーとも「同僚だ」という意識は強くあります。

zoomとslackの成せる業ですね。

 

ありがたいことにコミュニケーション能力の高い同僚たちに恵まれていることもあり、オンラインの環境でも同僚性を高めていくことができています。



今は

「会って話せばわかる」

は通用しないので、オンライン上のコミュニケーションのみで、相互理解や信頼関係の構築ができる必要があります。

そもそも、zoom上でしか話したことのない人というのは、自分にとってはzoon上の印象がその人の全てになるため、「本当のその人」というものが別にあったとしても意味を成しませんね。

 

これからの時代、オンライン上でのコミュニケーションができないことはリスクになるし、できることはアドバンテージになると思います。

 

一部の仕事では

「ええー!?会って話さないと話にならないの!?」

みたいな人と仕事をしたり、雇ったりすることはコストになりますし、

逆にそれが上手にできる人は働く場所や時間を選ぶことができる可能性が高まると思います。

 

そのぐらいオンラインでのコミュニケーション力が重要視されるとするならば、

そこを意識した教育に力をいれる学校とかも出てきそうですね。

OODAループって育児の話じゃんと思った話

今日、友人とzoomで対話をしていて、たまたまOODAループの話題になったときに、ふと

「これって育児じゃん」

と思うと共に

「育児って、ノウハウも重要だけど、ビジョンと仲間が大事だよなあ。」

ということを改めて考えていました。

 

OODAループが戦闘機のパイロットが使っていた思考法だということはよく知られています。

不測の事態への対応も含め、瞬間的に物事を判断して行動に移す。

それを可能にするためには、組織や自分なりの哲学や理念、軸といったものがしっかりとあることが不可欠です。

 

「これって、正に育児じゃん」

 

 ・離陸しちゃったら停止できない。

 ・瞬間的な判断の連続。

 ・不測の事態が起こりまくる。

 ・即時的なフィードバックがある。

 

このようにジェットコースターのような毎日を送る中でも、OODAループのように、自分なりの世界観(育児に対する自分の軸とか信念とか理念とか哲学とかビジョンとか願いとか、そういったもの)に基づいて育児活動を実践できるのが良いと思っています。

 

そうすれば、不測の事態にも、自分の世界観に照らして対応を決めて実際に行動することができます。

 

こうした世界観を獲得するために重要なことは、膨大なインプットと、対話の機会だと思います。

ではそれはどこで学んだり、深めたりするのか。

 

また、軸があってもエネルギーがなければ決断も行動も難しい。

ではそのエネルギーはどうやってチャージするのか。



僕はこれは学校が中心となり、家庭や地域を巻き込んだビジョン形成の場を提供していくこと。

子どもだけでなく、子どもを取り巻く”地域の学び舎”としての機能を発揮していくことが重要なのではないかと考えています。

また、それは今急速に「N高」のようなインターネット上の高校が生徒数を伸ばしている中で、地域の学校の生き残り策でもあると思います。

学び合うコミュニティに感謝

先ほどまでzoomで教員仲間と語り合っていました。

僕から

「近況報告しましょう」

と持ちかけて、21時スタートが、あっという間に12時まで・・・

 

そこで思ったことは

「学び合うコミュニティの存在ってありがたいなあ」

ということ。付き合ってくれたみなさんに感謝です。



最近、アウトプットを自主課題にしていて、話す・書く機会を多く設定しています。

その課題は尊敬する方からのミッションであり、定期的に受けさせてもらっているコーチングの中で浮き上がってきたものでもありました。



最近のコーチングを通して見えてきたことは、

「自分の中で意思や情熱を強く持っているもの程自信を持って語れる」

という、結構当たり前のこと。

ただ、色々な情報をファッション的にピックアップしていくうちに、

意思や情熱や理解がそれほどでもないことも、語りたがっている(語れないといけない

と感じている)自分もいたことに気が付きました。




で、今日のzoom会。

 

対話が基本にあるのですが、良い感じのメンバー構成で、

疑問、反論、補足、別の視点等々が良い濃度で飛んでくるので、

自分も色々と考えを巡らせながら、たくさん意見交換ができました。

これは、話題が自分の好きな『学び合い』だったことが大きいです。

 

対話を通して、良いアウトプットの機会を得られたな、と思いましたし、

メンバーとの相互理解もかなり深まりました。

対話や議論が楽しいとすごく思いました。



「こういう対話ができるのも、熱量高く生きている仲間がいることと、zoomのおかげだなあ。

ありがたいなあ。」

 

というのが、今日の感想です。

 

今、人と話したり、話を聞いたりするのがとても楽しいです。